国語の授業で、「作者は何を伝えたかったのでしょう」と問う場面があります。説明文では「筆者の考えはどこに書かれていますか」と問います。そして、物語の学習が進むと、「語り手」という言葉も出てきます。
この三つ、どれも「文章を書いた人」や「文章の中で話している人」を指す言葉ですが、意味ははっきり違います。とくに「作者」と「語り手」を区別しておくと、物語の読み方がぐっと深くなります。
この記事では、「作者」「筆者」「語り手」の定義を整理し、あわせて「視点」「話者」という言葉も見ていきます。
それぞれの言葉の定義
「作者」とは
作者は、物語や詩など、文学作品を書いた人のことです。
「ごんぎつね」の作者は新美南吉、「スイミー」の作者はレオ・レオニ。教科書で物語や詩を読むときは、書いた人を「作者」と呼びます。
作者は、作品の外にいる、実在の人物です。どんな時代に生まれ、どんな人生を送り、どんな思いでその作品を書いたのか。作者について知ることは、作品を読む手がかりの一つになります。
「筆者」とは
筆者は、説明文や論説文、随筆など、文学作品以外の文章を書いた人のことです。
教科書では、説明文を読むときに「筆者」という言葉を使います。「筆者は、どんな問いを立てていますか」「筆者の考えが書かれている段落はどこですか」。
作者と筆者の違いは、書いた文章の種類にあります。物語や詩のように、想像の世界を描く文学作品なら作者。説明文や意見文のように、事実や考えを伝える文章なら筆者。どちらも実在の人物ですが、文章の種類によって呼び方を変えているわけです。
なぜ呼び方を変えるのか。説明文の筆者は、自分の考えを、自分の言葉で、読み手に直接伝えています。文章の中で「わたしは〜と考えます」と書かれていれば、それは筆者自身の考えです。ところが、物語の場合は、そう単純ではありません。そこで出てくるのが、「語り手」です。
「語り手」とは
語り手は、物語の中で、出来事を読み手に語っている存在のことです。
物語の文章は、誰かが語っている形で書かれています。「むかしむかし、ある村に……」と語っているのは誰でしょうか。作者が直接話しているように思えますが、実はそうではありません。作者が物語の中につくりだした「語る人」が、語っているのです。それが語り手です。
語り手には、大きく二つの種類があります。
一つは、一人称の語り手です。「ぼく」「わたし」として、物語の中に登場人物として出てきて、自分の目で見たこと、感じたことを語ります。この場合、読み手は、語り手の目を通してしか物語の世界を見ることができません。
もう一つは、三人称の語り手です。物語の中には登場せず、外から登場人物たちのことを「彼は」「ごんは」のように語ります。三人称の語り手は、ある人物の心の中に入りこんで語ることもあれば、外から見たことだけを語ることもあります。
作者と語り手は、同じ人ではない
ここが一番大事なところです。作者と語り手は、同じではありません。
たとえば、一人称の語り手「ぼく」が小学生の男の子でも、作者は大人の女性かもしれません。語り手の「ぼく」が考えていることが、作者の考えと同じとは限りません。作者は、物語を伝えるために、ある語り手をつくりだしたのです。
「ごんぎつね」は、「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。」という一文から始まります。この「わたし」が語り手です。そして、この「わたし」は、作者の新美南吉そのものではなく、作者がつくった語り手だと考えることができます。物語は、茂平さんから聞いた話を、「わたし」が語り直す、という形になっているわけです。
「視点」と「話者」
「視点」とは
視点は、語り手が、どの人物の側に立って、物語を語っているかということです。
三人称の語り手でも、多くの場合、ある人物に寄りそって語ります。その人物の目に映るものや、心の中を中心に語るのです。このとき、語り手が寄りそっている人物を「視点人物」と言うこともあります。
「ごんぎつね」は、ほとんどの場面で、ごんに寄りそって語られます。ごんが何を見て、何を思ったのかが書かれています。ところが、最後の場面だけは、兵十の側から語られます。この視点の転換が、物語の結末の大きな意味をつくっています。このことについては、「『ごんぎつね』の教材研究 なぜ最後だけ「兵十」の視点に変わるのか」で詳しく書きました。
「話者」とは
詩を読むときには、「語り手」ではなく「話者」という言葉を使うことがあります。
話者は、詩の中で、言葉を発している存在のことです。詩の中の「ぼく」「わたし」は、作者その人ではなく、作者がつくりだした話者だと考えます。物語の語り手と同じように、作品の中の存在です。
並べてみると
| 言葉 | ひと言でいうと | どこにいるか | 使う文章 |
|---|---|---|---|
| 作者 | 文学作品を書いた人 | 作品の外(実在の人物) | 物語・詩 |
| 筆者 | 説明文などを書いた人 | 文章の外(実在の人物) | 説明文・論説文・随筆 |
| 語り手 | 物語の中で出来事を語る存在 | 作品の中 | 物語 |
| 話者 | 詩の中で言葉を発する存在 | 作品の中 | 詩 |
| 視点 | 語り手がどの人物の側に立って語るか | ― | 物語 |
整理すると、作者と筆者は「作品の外にいる、書いた人」、語り手と話者は「作品の中にいる、語っている存在」です。
なぜ、作者と語り手を分けるのか
「作者の気持ち」を問う授業の落とし穴
「作者は、この物語で何を伝えたかったのでしょう」。国語の授業でよく見る発問です。
でも、この問いには、少し難しいところがあります。作者が何を伝えたかったのかは、作者に聞かないと本当のところは分からないからです。物語から読み取れるのは、作品の中に書かれていること、つまり、語り手が語っていること、登場人物がしたこと、言ったことです。
作者の思いを考えることは、物語を深く読む一つの方法ですが、それが授業の中心になると、子どもは「作者の答え」を当てようとしてしまいます。そして、本文の言葉よりも、先生が期待する答えを探すようになります。
語り手に目を向けると、読みが広がる
一方で、語り手に目を向けると、物語の読み方が広がります。
「この物語は、誰が語っているのだろう」「語り手は、どの人物の気持ちを書いていて、どの人物の気持ちを書いていないのだろう」「もし、別の人物の側から語られていたら、物語はどう変わるだろう」。
こうした問いは、本文に書かれていることをもとに考えることができます。そして、物語がどのように組み立てられているのか、なぜその語り方が選ばれたのかを考えることにつながります。これは、高学年の「表現の効果を考える」読みにもつながる大事な視点です。
授業でどう扱うか
低学年では
低学年では、「語り手」という言葉を教える必要はありません。ただ、「このお話は、誰のことをいちばんくわしく書いているかな」と問うことで、視点の感覚を育てることはできます。
また、一人称の物語、たとえば「ぼく」が出てくるお話を読むときは、「この『ぼく』って、誰のことかな」と問うだけで、子どもは語り手の存在に気づき始めます。
中学年では
中学年では、物語の語り手について、少しずつ意識させていきます。
「ごんぎつね」のように、語り手がはっきり登場する物語は、語り手について考えるよい教材です。「『わたし』は誰でしょう」「『わたし』は、このお話を誰から聞いたのでしょう」と問うと、物語が「語られたもの」であることに気づきます。
また、視点の転換がある物語では、「この場面では、誰の気持ちが書かれているかな」と場面ごとに確かめると、視点の変化に気づくことができます。
高学年では
高学年では、「語り手」「視点」という言葉を使って、物語の表現の工夫を考えさせることができます。
一人称の語りの物語なら、「語り手の『ぼく』が知らないことは、物語には書かれていない」ということに気づかせます。そうすると、「ほかの登場人物は、本当はどう思っていたのだろう」と、書かれていないことを想像する読みが生まれます。
物語を書く学習では、「一人称で書くか、三人称で書くか」「誰の視点で書くか」を選ばせると、子どもは語り手の役割を、書き手として実感することができます。
一人称と三人称を書き比べる活動
語り手の違いを実感させるのに、おすすめしたいのが、同じ出来事を一人称と三人称で書き比べる活動です。
たとえば、「休み時間に、友達とけんかをして、あとで仲直りした」という出来事を用意します。これを、まず「ぼく(わたし)」を主語にした一人称で書きます。
「ぼくは、ボールをとられて、思わず大きな声を出してしまった。本当は、そんなに怒っていたわけじゃないのに。」
次に、同じ出来事を、外から見た三人称で書きます。
「たけるは、ボールをとられて、大きな声を出した。ゆうきは、びっくりして、その場に立ちつくした。」
二つを並べると、子どもはすぐに違いに気づきます。一人称では、「ぼく」の心の中がくわしく書けるけれど、相手の気持ちは書けない。三人称では、二人の様子を外から書けるけれど、心の中はあまり書かれていない。
この活動のあとに物語を読むと、「この物語は、誰の心の中が書かれているか」という問いが、子どもにとって自分の実感をともなったものになります。書いてみることで、語り手の役割が分かるのです。
子どもがよく混乱するところ
「ぼく」は作者だと思ってしまう
一人称の物語を読むと、子どもは「ぼく」を作者だと思いがちです。とくに、作者の写真やプロフィールが教科書に載っていると、「この人が『ぼく』なんだ」と考えてしまいます。
そのときは、「作者の○○さんは、大人だよね。でも、物語の『ぼく』は何年生かな」と問うと、子どもは作者と語り手が別であることに気づきます。作者は、自分とは違う人物になりきって、物語を語らせることができる。これは、物語を書く人の大きな力です。
登場人物と語り手の区別がつかない
三人称の物語では、語り手が誰なのかが見えにくいため、子どもは「ごんが語っている」「兵十が語っている」と考えることがあります。
こうしたときは、会話文と地の文を分けて読む活動が役に立ちます。かぎかっこの中は登場人物が話している言葉、かぎかっこの外は語り手が語っている言葉。地の文に線を引いてみると、「ここは誰が話しているんだろう」という問いが生まれ、語り手の存在が見えてきます。
説明文の「筆者」を読む
説明文でも、「筆者」を意識すると、読みが深まります。
説明文の筆者は、読み手に分かってもらうために、さまざまな工夫をしています。問いを立てる、例を挙げる、比べる、図や写真を使う。「筆者は、なぜこの例を選んだのだろう」「なぜこの順番で説明しているのだろう」と問うと、子どもは文章の内容だけでなく、説明の仕方に目を向けるようになります。
高学年の論説文では、「筆者の考えに賛成か、反対か」を考える学習もあります。このとき、筆者の考えと、筆者が挙げた事実や例とを分けて読むことが大事です。筆者の考えは、事実や例に支えられているからです。
よくある質問
「作者」と「著者」は、どう違いますか?
著者は、本を書いた人のことで、文章の種類を問わず使います。作者は文学作品、筆者は説明文などに使うことが多いですが、著者はどちらにも使えます。教科書では「作者」「筆者」が使われるのが一般的です。
語り手が登場しない物語もありますか?
三人称の語り手は、物語の中に「わたし」として登場しないので、いないように感じます。でも、語っている存在がいなければ、物語の文章はなりたちません。目立たないだけで、語り手は必ずいると考えます。
作者の伝記や時代背景は、授業で扱ってもいいですか?
扱ってかまいません。作者がどんな人で、どんな時代に書いたのかを知ることは、作品を読む手がかりになります。ただ、作者の人生をそのまま物語に当てはめて読むと、読みがせまくなることもあります。作品の本文から読み取れることを中心にして、作者の情報は、読みを深めるための補助として使うとよいと思います。
発問の中で、どの言葉を使えばいいですか?
物語では、「作者は何を伝えたかったのか」よりも、「この物語を読んで、あなたは何を受け取ったか」「語り手は、この場面で何をくわしく語っているか」と問うほうが、本文にもとづいて考えやすくなります。説明文では、「筆者の考え」「筆者の工夫」と、遠慮なく筆者を主語にして問うてかまいません。説明文の筆者は、自分の考えを読み手に伝えるために書いているからです。文章を区切って読む「場面」と「段落」の違いについては、「『場面』と『段落』はどう違う?」にまとめています。
まとめ
作者は、物語や詩など、文学作品を書いた人。
筆者は、説明文や論説文など、文学作品以外の文章を書いた人。
語り手は、物語の中で出来事を語っている存在。詩では話者と呼ぶ。
視点は、語り手がどの人物の側に立って語っているか。
いちばん大事なのは、作者と語り手は同じではない、ということです。作者は作品の外にいる人、語り手は作品の中で語っている存在。この違いが分かると、「作者の気持ち」を当てる読みから、「この物語はどう語られているか」を考える読みへと、子どもの読みを広げることができます。


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