「嫌い」と言う前に、相手のことをどれだけ知っているか。
最近、ある番組の切り抜き動画を見て、この問いがずっと頭から離れません。教室で子どもが口にする「きらい」も、私たち教員が心の中でつぶやく「苦手」も、案外この問いでふるいにかけられるんじゃないか。そんなことを考えたので、少し長くなりますが書いてみます。
テレビで聞いた、ある「嫌い」の話
西村宏堂さんという人
話していたのは、僧侶でメイクアップアーティストの西村宏堂(にしむら・こうどう)さんです。
1989年、東京生まれ。実家はお寺で、ニューヨークのパーソンズ美術大学を卒業後、アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動してきました。ミス・ユニバース世界大会などでメイクを担当し、2015年には浄土宗の僧侶にもなっています。LGBTQの当事者として「性別も人種も関係なく、みんな平等」というメッセージを発信していて、2021年にはアメリカのTIME誌が選ぶ「次世代リーダー」に、2022年の大みそかにはNHK紅白歌合戦の審査員にも選ばれました。著書に『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』(サンマーク出版)があります。
お父さんはお寺の住職、お母さんはピアニストだそうです。今回の話の主役は、このお母さんです。
番組と、話の中身
場面は、MBS制作・TBS系の教養バラエティ「日曜日の初耳学」。林修さんが話題の人と一対一で向き合うコーナー「インタビュアー林修」に、西村さんがゲストとして出た回です(2023年4月30日放送)。紅白の審査員で話題になったころの出演でした。
その中で西村さんが、ピアニストのお母さんから言われたこととして紹介していたのが、次のような話です。
モーツァルトが嫌いだと言うなら、モーツァルトの作曲方法を勉強して、作品を弾いてみなさい。そのうえで「ここの作曲法が気に入らないから、モーツァルトは嫌い」と言うのなら、道理が通る。でも、なんとなく嫌いと言っているのは意味のない批判で、差別や偏見と同じ。その人の生き様やストーリーを知らずに「嫌い」と言うのと似ている。
(日曜日の初耳学「インタビュアー林修」での西村宏堂さんの発言を要約)
正直、ドキッとしました。
モーツァルトの話から、いきなり「差別や偏見と同じ」まで飛ぶ。最初は少し大げさに聞こえたのですが、何度か見返すうちに、これは飛躍ではなく、ひと続きの話なんだと思うようになりました。
「嫌い」には、道理が通るものと通らないものがある
弾いてみた人の「嫌い」は、情報になる
この話のいいところは、「嫌いと言うな」とは一言も言っていないところです。
モーツァルトを嫌いでもいい。ただし、作曲の仕方を学び、実際に弾いてみて、そのうえで「ここが気に入らない」と言えるなら、それは立派な意見だ、と。
実際に弾いてみた人の「嫌い」には、中身があります。「この転調がどうも好きになれない」「同じ形のくり返しが多くて、弾いていて退屈だ」。そう言われたら、聞いた側も「なるほど、そこか」と考えることができます。賛成するにしても反対するにしても、話が前に進みます。
つまり、学んだうえでの「嫌い」は、相手についての情報になるんですね。
私は箏をやっています。箏を弾き始めた時は昔からある古曲と呼ばれるゆったりとした余韻を大切にする曲よりや新曲と呼ばれる手が早く派手な曲の方が好きでした。しかし、やっていくにつれて余韻や間の取り方が人によって違う面白さ表現の違いがわかるようになり、今では古曲を弾くことの方が多くなりました。
なんとなくの「嫌い」は、相手について何も語っていない
一方で、「なんとなく嫌い」はどうでしょう。
聞いてもピンとこなかった。周りが「古臭い」と言っていた。名前の響きがどうも。理由を聞かれても、うまく答えられない。
こういう「嫌い」は、実はモーツァルトについては何も語っていません。語っているのは、言った人の気分や、そのときの思い込みだけです。それなのに、口に出した瞬間から、まるでモーツァルトの評価であるかのように聞こえてしまう。
西村さんのお母さんが「意味のない批判」と言ったのは、たぶんこのズレのことだと思います。
人に向いたとき、それは偏見になる
そして、この「なんとなく嫌い」の矛先が人に向いたらどうなるか。
その人がどんな道を歩いてきたのか、何を大事にしているのか、どうして今こうしているのか。そういう生き様やストーリーを知らないまま、「あの人、なんか嫌い」と言ってしまう。
これはもう、立派な偏見です。
西村さん自身、僧侶でありながらメイクをし、ハイヒールを履き、性的少数者であることを公にして生きてきた人です。ここからは私の想像ですが、「知らないまま嫌われる」経験を、人よりずっと多くしてきたのかもしれません。だからこそ、お母さんのこの言葉が、ずっと心に残っているのではないかと思いました。
教室にあふれている「きらい」
「国語、きらい」「この話、つまらない」
さて、ここからは教室の話です。
教員をしていると、子どもの「きらい」には毎日のように出会います。「国語きらい」「漢字めんどくさい」「この話、つまらない」「算数とか意味ある?」。
まぁ、言いたくなる気持ちはよく分かります。私だって子どものころは、好きな教科と嫌いな教科がはっきりしていました。
ただ、この動画を見てから、子どもの「きらい」の聞き方が少し変わりました。叱るでも、聞き流すでもなく、「それは、弾いてみた『きらい』? 弾く前の『きらい』?」と心の中で考えるようになったんです。
「つまらない」を理由つきで言えたら、それはもう読みの力
国語の物語の授業で、「この話、つまらない」と言う子がいたとします。
ここで「そんなこと言わないの」と返すのは、正直もったいないと思っています。なぜなら、「つまらない」は、うまく育てれば立派な読みになるからです。
「どこがつまらなかった?」と聞いてみる。最初は「全部」と返ってくるかもしれません。それでも、「じゃあ、一番つまらなかった場面は?」と範囲をしぼっていくと、「主人公がずっと同じことで悩んでいて、先に進まないから」「最後に急に仲直りして、なんで?ってなった」といった言葉が出てきます。
これ、立派な批評です。
場面と場面を比べ、人物の気持ちの変化をたどり、結末に納得できるかを考えている。モーツァルトで言えば、楽譜を開いて「ここの作曲法が気に入らない」と言っているのと同じです。
全国学力・学習状況調査でもくり返し課題になっている「考え」と「根拠」を分けて書く力も、実はこういうところから育つのではないかと思っています。「好き」より「きらい」のほうが、子どもは案外、熱心に理由を探しますから。
私ならこんなふうにやってみたい
授業でやるなら、私はこんなことをしてみたいと考えています。
物語を読み終えたあとに、「好き・きらい」をはっきり言っていい時間をとります。ただし、ルールは一つだけ。「本文のどこから、そう思ったか」を必ず添えること。
「好き」の子も「きらい」の子も、同じ本文を根拠にして話します。すると、同じ場面を見て、ある子は「ここが最高」と言い、ある子は「ここが一番いや」と言う。そのずれが、そのまま話し合いの種になります。
もう一つは、本の紹介です。おすすめの本を紹介する活動はよくありますが、あえて「自分には合わなかった本」を、理由をつけて紹介する回があってもいいと思っています。悪口大会にしないために、「どんな人なら楽しめそうか」を最後に一言添える。弾いてみたうえで「自分には合わなかった」と言える力は、大人になってからも案外役に立ちます。
人に向いた「きらい」には、立ち止まりたい
ただ、教材や教科への「きらい」と、人への「きらい」は分けて考えたいところです。
「あいつ、きらい」「あの子とは組みたくない」。教室では、こういう言葉もときどき聞こえてきます。
ここで「嫌いになっちゃダメ」と言うのは簡単ですが、子どもの気持ちはそう簡単には変わりません。人間関係ですから、合う・合わないはどうしてもあります。
そんなとき、西村さんのお母さんの言葉を借りるなら、「その子のこと、どれくらい知ってる?」と聞いてみたいのです。
その子が家でどんなことをしているのか。何が好きで、何が苦手なのか。どうしてあのとき、あんな言い方をしたのか。知らないまま「きらい」と決めてしまうのは、モーツァルトを一曲も弾かずに嫌うのと同じかもしれないよ、と。
もちろん、知ったうえで、それでも合わないこともあります。それはそれでいい。大事なのは、「知らないまま決めつけない」という順番のほうです。
学級の中で「その人のストーリーを知る」時間をつくることは、学級経営そのものだと思っています。自己紹介、ペアトーク、係活動、休み時間の何気ない会話。子ども同士が相手の生き様の一部に触れる場面を、意識して増やしていく。それだけで、教室の「なんとなくきらい」は少しずつ減っていくはずです。
先生の側の「なんとなく」
「あの子は○○だから」という見立て
ここまで子どもの話をしてきましたが、実は一番ドキッとしたのは、自分のことでした。
私たち教員も、けっこう「なんとなく」で人を見ています。
新しいクラスを受け持つとき、引き継ぎで「この子は手がかかります」と聞く。そうすると、まだ会ってもいないのに、その子を見る目が少し身構えてしまう。最初の一週間で「この子はこういう子」と決めてしまい、その後の行動もその色眼鏡で見てしまう。
これって、その子のストーリーを知らないまま、「なんとなく」評価しているのと同じなんですよね。
引き継ぎの情報はもちろん大事です。ただ、それはあくまで楽譜の表紙のようなもの。実際に弾いてみないと、その曲のよさは分かりません。
新しいことへの「なんとなく反対」
もう一つ、思い当たるのが、新しい取り組みへの反応です。
新しい学習指導要領の方向性、デジタル教科書、新しい評価の考え方、校内の新しいルール。何か新しいものが来るたびに、職員室には「なんか嫌だな」という空気が流れることがあります。私自身も、その空気に乗ってしまったことがないとは言えません。
でも、その「嫌だな」は、弾いてみたうえでの「嫌い」でしょうか。資料を読み、実際にやってみて、「ここがこう困る」と言えるでしょうか。
学んだうえでの反対なら、それは現場からの大事な声になります。具体的だから、改善にもつながります。一方で、なんとなくの反対は、どれだけ数が集まっても、残念ながら何も動かしません。
だからこそ、新しいものに対して「嫌い」と言いたくなったら、まずは一回弾いてみる。資料を一つ読んでみる。授業で一回試してみる。そのうえで「ここが気に入らない」と言えたら、それはもう、とても強い意見です。
それでも「嫌い」と言っていい
好き嫌いは、なくさなくていい
誤解のないように書いておくと、私は「好き嫌いをなくそう」と言いたいわけではありません。
人には好みがあります。どれだけ学んでも、どうしても好きになれないものはある。それは、自分を知るための大事な手がかりでもあります。
子どもに「何でも好きになりなさい」と求めるのは、無理です。いや、無理というより無茶です。
大事なのは、「嫌い」をなくすことではなく、「嫌い」の中身を育てることだと思っています。なんとなくの「きらい」を、理由のある「きらい」に。気分の「きらい」を、知ったうえでの「きらい」に。
「理由を言いなさい」が、責める言葉にならないように
ただ、ここで一つ気をつけたいことがあります。
「きらいなら理由を言いなさい」という言葉は、言い方ひとつで、子どもを追いつめる言葉にもなってしまうということです。
大人に「なんで?」と詰め寄られると、子どもは理由を探すより先に、「言わなきゃよかった」と口を閉じてしまいます。そうなると、「きらい」は消えたのではなく、見えなくなっただけ。むしろ、心の中で「なんとなくきらい」が固まっていくこともあります。
だから私は、「きらい」が出てきたら、まずは「そっか、きらいなんだね」と一回受け止めたいと思っています。そのうえで、「どのへんが?」「一番いやだったのはどこ?」と、責めるのではなく、一緒に探す感じで聞いてみる。理由がすぐに出てこなくても、それでいい。「じゃあ、もう一回読んで、見つかったら教えて」で十分です。
モーツァルトのたとえで言えば、「弾いてから文句を言いなさい」と突き放すのではなく、「一緒に一回弾いてみようか」と隣に座る感じでしょうか。弾き方を知らない子に、いきなり楽譜を渡しても弾けません。どこを見ればいいのか、何に注目すればいいのか、その手がかりを渡すのが、私たち教員の仕事なのだと思います。
大人どうしでも、同じことが言える
これは、子ども相手に限った話ではありません。
職員会議で誰かが新しい提案をしたとき、すぐに「それは無理でしょう」と返すのは簡単です。でも、その一言で、提案した人は二度と手を挙げなくなるかもしれません。
保護者との関係でも同じです。連絡帳の一文や電話の口調だけで、「あの保護者は難しい」と決めてしまうことがあります。けれど、その方がどんな思いで子育てをしてきたのか、どうしてその言い方になったのか。そのストーリーを少し知るだけで、見え方ががらりと変わることは、案外よくあります。
最初はぶっきらぼうで話しにくいなと思っていた先生も分からない所を相談しに行くと意外と親身になって答えてくれることありますよね。
子どもに「知ってから言おう」と伝えるなら、まずは大人の側がそれをやって見せる。子どもは教員に似ますから。
学んでみたら、案外好きになることもある
そして、ここが一番おもしろいところなのですが、学んでみると、案外「嫌い」が消えてしまうことがあります。
作曲の仕方を知ると、「こんなところに工夫があったのか」と気づく。弾いてみると、聞いているだけでは分からなかった楽しさに出会う。人も同じで、その人のストーリーを知ると、「だからあの言い方だったのか」と腑に落ちることがあります。
西村さんのお母さんが本当に伝えたかったのは、もしかしたら「学んでから嫌え」ではなく、「学んでみたら、世界はもっとおもしろいよ」ということだったのかもしれません。これは私の勝手な読みですが…。
おわりに
「嫌いと言うなら、まず弾いてみる」。
この言葉は、子どもに伝えたい言葉であると同時に、私たち大人がまず自分に向けたい言葉でもあると感じています。
教室で子どもが「きらい」と言ったら、叱る前に「どこが?」と聞いてみる。自分が誰かや何かを「なんか嫌だな」と思ったら、その前に一回、相手のストーリーをのぞいてみる。
そんな小さな習慣が、教室から偏見を少しずつ減らしていくのではないかと思っています。
さて、あなたが今「なんとなく嫌い」と思っているものは、何でしょうか。それ、一回弾いてみませんか。
参考にした情報
- 日曜日の初耳学「インタビュアー林修」西村宏堂さんの回(MBS制作・TBS系、2023年4月30日放送)。SNSに上がっていた切り抜き動画で視聴。
- 日曜日の初耳学(TVer 番組ページ)
- 日曜日の初耳学(Wikipedia)
- 【4/30】日曜日の初耳学 インタビュアー林修:西村宏堂さん(szinformation)
- 早稲田大学 異文化交流センター(ICC) 西村宏堂さんのプロフィール
- PRESIDENT Online 西村宏堂さんの記事
- 山梨県 講演会チラシ(西村宏堂さんのプロフィール)
- 西村宏堂『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』(サンマーク出版)


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