【授業を見る・振り返る #8】見た授業を、自分の授業に生かす そのまま再現しない、自分のクラスに合った形を探す

【授業を見る・振り返る #8】見た授業を、自分の授業に生かす そのまま再現しない、自分のクラスに合った形を探す 授業づくり

連載「授業を見る・振り返る」も、今回が最終回です。

第1回の書き出しで、教員になったばかりのころの私の話を書きました。授業を見に行っても、何をメモすればいいか迷った。メモはとったものの、それを何にどう生かせばいいのか分からなかった。だから、見に行く意味を感じなかった。

この連載は、そのころの自分への返事のつもりで書いてきました。どこを見るか。何をメモするか。指導案のどこを読むか。自分の授業をどう記録し、どう振り返り、どう評価するか。協議会で何を話すか。

そして最終回は、一番の問いです。見た授業を、自分の授業にどう生かすか。

授業は、そのまま再現できない

最初に、この連載でずっと書いてきたことを、もう一度書きます。

授業は、子どもと先生がそれまでに積み重ねてきた関係でできている。

だから、見た授業を、そのまま自分のクラスで再現することはできません。同じ教材で、同じ発問をして、同じ板書をしても、同じ授業にはならない。それは、自分の力が足りないからではなく、子どもが違い、先生が違い、それまでの積み重ねが違うからです。

見た授業をそのまま再現しようとして、うまくいかない。すると、「やっぱり自分にはできない」と思ってしまう。あるいは、「あの先生のクラスだからできたんだ」と思って、見たことを全部手放してしまう。どちらも、もったいないことです。

見た授業は、再現するものではありません。自分のクラスに合った形を探すための、手がかりです。

持ち帰るのは「やり方」ではなく「なぜ」

では、見た授業から何を持ち帰るか。

私は、やり方そのものではなく、そのやり方をした理由(なぜ)を持ち帰るようにしています。

たとえば、見た授業で、先生が中心発問のあと、全体で話し合う前に、ペアで1分間話す時間をとっていたとします。そして、そのあとの全体の話し合いで、たくさんの手が挙がった。

ここで「ペアで1分話す」というやり方だけを持ち帰ると、自分のクラスでやってみても、うまくいかないかもしれません。自分のクラスでは、ペアで話す習慣がまだなくて、1分間黙ったままのペアばかりになるかもしれない。

でも、「なぜ、ペアで1分話す時間をとったのか」を考えると、別のものが見えてきます。全体で話す前に、自分の考えを一度だれかに言ってみることで、言葉にする自信をつけるため。だとしたら、自分のクラスでは、ペアではなく「ノートに一言書いてから手を挙げる」のほうが合っているかもしれない。あるいは、「となりの人のノートを見て、同じか違うかだけ確かめる」から始めたほうがいいかもしれない。

理由が分かれば、やり方は変えられる。同じねらいに、自分のクラスに合った別の道でたどりつくことができます。

第2回で、迷ったら「なぜ、この先生はここでこうしたのか」を1つだけメモする、と書きました。そして、あとで授業者の先生に聞いてみる、と。その答えこそが、持ち帰るべきものです。

見たことを「自分のクラス」に置きかえる3つの問い

なぜを持ち帰ったら、次は、それを自分のクラスに置きかえます。私は、次の3つの問いを使っています。

  1. そのクラスと、自分のクラスは、何が違うか
  2. 自分のクラスでは、今どこまでできているか
  3. 自分のクラスなら、どこから始めるか

問い1 何が違うか

まず、見たクラスと自分のクラスの違いを考えます。

学年、人数、子どもたちの雰囲気。でも、一番大事なのは、第1回で書いた関係の違いです。友だちの話をどう聞いているか。まちがいをどう扱っているか。つぶやきが出るか。先生が待つ時間に、子どもはどうしているか。

見たクラスでうまくいっていたことは、たいてい、こうした関係の上に乗っています。その関係が、自分のクラスにはまだないのか、あるのか。違いを言葉にしてみると、何をそのまま持ち帰れて、何は持ち帰れないのかが、見えてきます。

問い2 今どこまでできているか

次に、自分のクラスが、今どこにいるかを考えます。

これは、第4回と第5回で書いた、自分の授業の記録と振り返りが役に立つところです。板書の写真や1行メモを見返してみると、自分のクラスの今の姿が見えてきます。話し合いは、どれくらい続くようになったか。一人で考える時間に、どれくらいの子が書けているか。

見た授業と比べて落ちこむのではなく、自分のクラスの4月と比べて、どこまで来たかを確かめる。そのうえで、見た授業が、自分のクラスの「少し先」にあるのか、「ずっと先」にあるのかを考えます。

問い3 どこから始めるか

最後に、自分のクラスなら、どこから始めるかを決めます。

見た授業が「ずっと先」にあるなら、いきなり同じことをやろうとしない。その手前の一歩を考えます。見た授業で、子どもたちがまちがいを堂々と言っていて、それが話し合いを深めていたとします。でも、自分のクラスはまだまちがいを言える空気がない。だとしたら、最初の一歩は、まず先生がわざとまちがえてみせることかもしれません(「導入」7つの型の型5にも書きました)。

見た授業が「少し先」にあるなら、少しだけ形を変えて、試してみる。そのまま再現するのではなく、自分のクラスに合わせて、時間を短くする、人数を変える、言い方を変える。

1回の参観で持ち帰るのは1つだけ

この連載で何度も書いてきましたが、ここでも書きます。1回の参観で持ち帰るのは、1つだけです。

いい授業を見ると、あれもこれもやってみたくなります。発問も、板書も、ペアの話し合いも、振り返りの書かせ方も。でも、全部を一度に取り入れようとすると、自分の授業がばらばらになります。子どもも戸惑います。そして、何がうまくいって、何がうまくいかなかったのかが分からなくなります。

1つだけ。それを、明日の授業から試してみる。うまくいけば続ける。うまくいかなければ、形を変えてもう一度試す。それでもだめなら、今の自分のクラスには、まだ早かったのかもしれない。いったん置いておいて、また別の機会に試してみる。

1つずつ、小さく試して、自分のクラスに合う形を探していく。遠回りのようで、これが一番の近道だと思っています。

「まねる → 変える → 自分のものにする」

見た授業を自分の授業に生かしていく流れを、3つの段階で考えてみます。

まねる。最初は、まねることから始めていいと思います。理由が分かったうえで、まずは見たとおりにやってみる。やってみないと、自分のクラスに合うかどうかは分かりません。そのまま再現はできないと分かっていても、試してみることには意味があります。

変える。やってみて、うまくいかないところが出てきたら、そこを変えます。ここで、第5回の振り返りの3つの問い(何が起きたか、なぜ起きたか、次はどうするか)が役に立ちます。変えるのは、やはり1つずつです。

自分のものにする。何回か変えているうちに、見た授業とは少し違う、でも自分のクラスにはぴったり合う形ができてきます。それが、自分の授業の「型」になります。もう、だれかのまねではありません。

この流れを何回もくり返していると、自分の型がだんだん増えていきます。そして、いつか、自分の授業をだれかが見に来て、その人がまた、自分のクラスに合った形を探していく。授業は、そうやって、学校の中で受けつがれていくのだと思います。

うまくいかないときは、「関係」を育てるほうに回る

形を変えて何回か試しても、どうしてもうまくいかない。そういうこともあります。

そのときは、授業のやり方を変えるのをいったんやめて、その授業を支えていた「関係」を育てるほうに回るのも一つの手だと思っています。

見た授業で、子どもたちの話し合いがつながっていたのは、友だちの話を最後まで聞く習慣があったからかもしれない。だとしたら、自分のクラスでまず取り組むのは、話し合いの授業ではなく、朝の会や帰りの会で、友だちのスピーチを最後まで聞いて、一言感想を返す時間をつくることかもしれません。

授業の外で育てた関係は、やがて授業の中に出てきます。見た授業は、その日の45分だけでできたものではありませんでした。同じように、自分のクラスの授業も、毎日の積み重ねの上にできていきます。すぐに同じ形にならなくても、焦らなくていい。見た授業が教えてくれた「なぜ」を、毎日の中で少しずつ育てていけばいいのだと思います。

試したことを記録しておく

見た授業から持ち帰ったことを試したら、その結果を記録しておきます。

第4回で書いた、板書の写真と1行メモでかまいません。1行メモに、「〇〇先生の授業で見た△△を試した。うちのクラスでは〜だった」と書いておく。

この記録が、「変える」と「自分のものにする」のための材料になります。それから、もしよければ、試した結果を、見せてくれた先生に伝えてみてください。「先生の授業で見た〇〇、うちのクラスでやってみたら、こうなりました」。

これは、見せてくれた先生にとって、とてもうれしいことです。自分の授業が、だれかのクラスで、違う形で生きている。そして、その話から、見せてくれた先生も、自分の授業について新しい発見をするかもしれません。授業を見る・見せる関係が、一方通行ではなくなります。

「授業を見せてください」と頼む

ここまで、主に研究授業などの「見に行く機会がある授業」を前提に書いてきました。でも、本当に自分の授業に生かせるのは、ふだんの授業かもしれません。

研究授業は、何週間も準備をした特別な授業です。それはそれで学ぶことが多いのですが、自分のクラスの毎日の授業に持ち帰るなら、ほかの先生のふだんの授業のほうが、ずっと参考になることがあります。

だから、ぜひ、ほかの先生に「授業を見せてください」と頼んでみてください。

頼むときは、こんなふうに言うと、相手も引き受けやすいと思います。

  • 見たい理由を具体的に言う:「最近、うちのクラスで話し合いが続かなくて。先生のクラスの話し合いの場面を見せてもらえませんか」
  • 時間を区切る:「15分だけでいいので」
  • 準備はいらないと伝える:「ふだんの授業で大丈夫です」

見たい理由を言うのは、第1回で書いた「自分の問い」を持っていくことでもあります。問いがあれば、短い時間でも、見るところがはっきりしています。そして、見せてもらったら、授業のあとで「なぜ」を1つ聞く。持ち帰るのは1つだけ。それで十分です。

空き時間がなかなか合わないときは、同じ学年の先生と、授業を見合う日を決めておくのもいい方法です。月に1回、お互いの授業を15分ずつ見る。それだけでも、1年で何本もの授業を見ることになります。

参観ノートを1冊つくる

最後に、見た授業を長く生かすための工夫を一つ。参観ノートを1冊つくることです。

授業を見るたびにとったメモ(第2回の3列メモ)を、1冊のノートにまとめておきます。ルーズリーフをファイルにとじていくのでもかまいません。それぞれのメモの最後には、「持ち帰ったこと」と「試した結果」を1行ずつ書き足しておきます。

学期の終わりや、年度の終わりに、そのノートを最初から読み返してみてください。

1年の間に、自分が何に困って、何を見に行って、何を持ち帰り、それがどうなったか。それが全部、1冊に残っています。読み返すと、4月の自分の困りごとが、今はもう困りごとではなくなっていることに気づくかもしれません。それは、見に行った授業から持ち帰ったものが、自分の授業の中で生きている証拠です。

そして、そのノートには、自分が見てきたたくさんの先生と、たくさんのクラスが詰まっています。どのクラスも、それぞれの子どもと先生が積み重ねてきた、その教室だけの授業です。それを見てきたことが、自分のクラスに合った授業を探していくための、何よりの財産になります。

見に行く意味

連載の最後に、第1回の問いに戻ります。

授業を見に行く意味って、あるのか。

新任のころの私が、見に行く意味を感じられなかったのは、たぶん、見た授業を「そのまま持ち帰るもの」だと思っていたからです。そのまま持ち帰ろうとすると、何をメモすればいいか分からない。メモをとっても、自分のクラスでは同じようにいかない。だから、意味が感じられない。

でも、授業は、その教室の子どもと先生の関係でできています。見に行く意味は、それをそのまま持ち帰ることではなく、そのクラスの授業を支えている「なぜ」を知り、自分のクラスに合った形を探すための手がかりを得ることにある。今は、そう思っています。

見た授業は、自分のクラスを映す鏡のようなものかもしれません。ほかのクラスを見ることで、自分のクラスの今の姿が、かえってよく見えてくる。何ができていて、何がまだなのか。どこから始めればいいのか。

授業を見に行くのは、ほかの先生の授業を学ぶためであり、同時に、自分のクラスを知るためでもあるのだと思います。

おわりに

見た授業を、自分の授業に生かす方法を、まとめておきます。

授業は、子どもと先生の関係でできているので、そのまま再現はできない。持ち帰るのは、やり方ではなく「なぜ」。何が違うか、今どこまでできているか、どこから始めるか、の3つの問いで、自分のクラスに置きかえる。1回の参観で持ち帰るのは1つだけ。まねる、変える、自分のものにする。試した結果を記録し、見せてくれた先生にも伝える。ふだんの授業を見せてもらうよう頼んでみる。参観ノートを1冊つくって、年に一度読み返す。

連載「授業を見る・振り返る」は、これで終わりです。見る、記録する、振り返る、評価する、話す、そして生かす。どれも、自分のクラスに合った授業の形を探していくための、一つひとつの道具です。

全部を一度にやる必要はありません。どれか1つ、自分に合いそうなものから試してみてください。そして、うまくいかなかったら、形を変えてもう一度。この連載に書いたことも、そのまま再現するのではなく、自分の学校、自分のクラスに合った形に変えて使ってもらえたら、うれしいです。

連載「授業を見る・振り返る」

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