「次期学習指導要領を読む」第19回です。総合の時間、学年で決めたテーマに沿って調べ学習を進めていると、「本当はこっちが調べたいんだけどな」という顔をしている子がいる。そんな場面、思い当たりますよね。
審議まとめは、小中学校の「総合的な学習の時間」の名称を変え、小学校から高校まで一貫して「総合的な探究の時間」とする方向を示しています。そのうえで、小学校の総合については、次のような変化が打ち出されています。
- 教師を起点に共通のテーマを設定する「テーマ探究」と、子ども個人を起点に課題を設定する「マイ探究」を、バランスよく組み合わせる
- 探究の形として「研究系」「行動系」に加えて「創作系」を明示する
- 小学校の総合を「探究の領域」と「情報の領域」の二つの領域で構成する
総合は、地域の材と出会い、子どもと一緒に学びをつくっていける、私にとって特に思い入れのある時間です。だからこそ、今回の方向性には、期待と少しの不安の両方を感じながら読みました。
なぜ「探究」なのか
高校での名称変更が探究を後押しした
高校では、前回の改訂で「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」に名前が変わりました。審議まとめは、この名称変更が探究の推進に一定程度寄与してきたことも踏まえ、小中高共通で「総合的な探究の時間」とすることで、総合における「探究」の位置付けが一層明確になり、改訂の趣旨を広く学校現場や社会と共有することにもつながる、と書いています。
総合の課題
一方で、今の総合の課題として、次のような点が挙げられています。
- 特に小中学校を中心に、学校で設定した総括的なテーマを重視するグループでの探究が多く、個人の興味・関心が十分に考慮されない例がある
- 「探究のプロセス」(課題の設定、情報の収集、整理・分析、まとめ・表現)を順を追って回すこと自体が探究と認識され、目的化しているケースがある
- 同じプロセスでは十分に捉えきれない探究がある
「探究のプロセスを回すことが目的化している」という指摘には、耳が痛くなった方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。4つの段階を順番にこなすことに一生懸命になって、子どもが本当に知りたいことは何だったのか、見失ってしまったことがあります。
「テーマ探究」と「マイ探究」
二つの探究の違い
では、どう変わるのでしょうか。審議まとめは、課題を決めるときの「学習者の裁量」に注目して、探究を大きく二つに整理しています。

| テーマ探究 | マイ探究 | |
|---|---|---|
| 起点 | 教師を起点に、学年・学級などで共通のテーマや課題を設定 | 個人を起点にテーマや課題を設定 |
| 重視すること | 特定のテーマを掘り下げ、興味・関心を広げたり見つけたりする | 一人一人の興味・関心の深掘り |
| 協働 | 学級やグループなどでの共通の体験や協働 | 興味・関心などをベースにした協働 |
テーマ探究は興味・関心を「広げる」学び、マイ探究は興味・関心を「深める」学び、とも表現されています。
「グループ探究」「個人探究」ではない理由
おもしろいのは、「グループ探究」「個人探究」という言葉ではなく、あえて「テーマ探究」「マイ探究」という言葉を使っている理由です。
「誰と行うか」に焦点を当てると、課題を決める主体性や裁量の視点が軽く見られるおそれがある。また、「個人」が過度に強調されると多様な他者との対話や協働が、「グループ」が過度に強調されると一人一人の興味・関心や課題の洗練が、軽く見られかねない。だから、「誰が課題を決めるか」に着目した言葉にした、というのです。
マイ探究でも友達との協働は大切ですし、テーマ探究でも一人一人の問いを大切にする。そのバランスを言葉の選び方で表そうとしているのだと思います。
「何がやりたいの?」と問い続けることの息苦しさ
私が特にうなずいたのは、次の指摘です。
興味・関心と出会う体験や経験等がないまま、「何がやりたいのか」を学校で過度に問われ続けることは、息苦しさにつながりかねない、「好き」だけを入口にせず、本人が未だ知らないテーマと真剣に向き合う経験も重要、との指摘もある。
「好きなことを探究していいよ」と言われても、何をしたらいいか分からず、困ってしまう子もいますよね。「マイ探究」と聞くと、「子どもの好きなことを自由に調べさせればいい」と受け取られがちです。でも、まだ自分の「好き」が分からない子もいます。そういう子にとって、テーマ探究で地域の材と出会い、新しい世界を知ることは、「好き」を見つけるための大切な入口になります。
だからこそ審議まとめは、高校段階で自分の在り方生き方に関わる「マイ探究」を自律的に進められるようになることを目指しつつ、発達の段階や子どもの実態に応じて、テーマ探究とマイ探究を適切に組み合わせることの必要性を示しています。「1年間1テーマ」だけでなく、「1年間複数テーマ」を時期を分けて行う、テーマ探究とマイ探究を並行して行う、など多様な年間計画のあり方も例示されています。
「子どもに委ねればよい」ではない
さらに、マイ探究を明示的に位置付けることが、「児童生徒に委ねればよい」という認識を招き、「活動あって学びなし」の状況にならないよう、教師の適切な見取りや形成的な評価を含め、教師の役割や指導性の発揮のあり方も示すべきだ、とされています。
「研究系」「行動系」「創作系」
探究の形はいろいろある
審議まとめは、探究の「課題」に着目すると、「研究系」「行動系」「創作系」といった探究の形があり、形によって探究のプロセスも異なることを、参考資料などで示す方向を打ち出しています。

「研究」「行動」「創作」と言われても、小学校の総合だとどんな姿になるのか、すぐには浮かびませんよね。私なりにイメージすると、こんな違いでしょうか。
- 研究系:問いを立て、調べたり実験したりして、答えを明らかにする(例:地域の川の水質はどう変わってきたか)
- 行動系:課題の解決に向けて、実際に行動を起こし、社会に働きかける(例:地域の商店街を元気にするイベントを企画する)
- 創作系:アイデアを作品として形にする(例:地域の魅力を伝えるアプリや動画、模型をつくる)
「創作系」をあえて明示する意味
特に「創作系」について、審議まとめは今日的な意義を丁寧に説明しています。
AIをはじめとするデジタル技術の発展で、これまで一部の専門家や芸術家、職人だけが持っていた「アイデアを自分の作品として形にすること」が、多くの人に可能になった。一方で、アルゴリズムに推薦されるコンテンツを「消費者」として消費し続ける誘因も大きくなっている。だからこそ、AIに操られることなく自分の人生を舵取りしていくために、興味・関心に基づく初発のアイデアを、試行錯誤しながらこだわりをもって作品として創り上げる「創作者(クリエイター)」としての経験が重要だ、というのです。
「消費者から創作者へ」。この視点は、総合だけでなく、子どもたちの日常のデジタルとの付き合い方を考えるうえでも、大切な問いかけだと感じました。
探究のプロセスの位置付けも見直し
プロセスは「典型的な姿」であって目的ではない
「探究のプロセス」についても、学習者が学びを自己調整しながらたどる典型的な学習の姿を示したもので、実態としてさまざまなバリエーションが生じることを前提としており、プロセスをたどること自体が目的化することは望ましくない、と明確にする方向です。

「課題の設定」を強調、「振り返り」はプロセスに入れない
また、「課題の設定」の重要性を強調する一方、「振り返り」については、各コマごと、一定のまとまりごとなど、さまざまな単位・場面で行うことが想定され、順序のある探究の学習過程にはなじみにくいため、「探究のプロセス」としては位置付けない、とされています。振り返りが大事でなくなるのではなく、プロセスの「最後の段階」としてではなく、いつでも行うものとして捉え直す、ということだと思います。
成果の「外化」を明確に
さらに、テーマ探究かマイ探究かにかかわらず、探究の成果について、論述・レポート・プレゼン・作品制作などの「外化」の機会を適切に設けることを、学習指導要領上で明確にする方向です。
「節目としての探究」
各学校段階の最終学年などで、学習の成果や自分の変容を実感する「節目としての探究」を位置付けることが望ましい、という方向も示されています。小学校6年生で、自分の「好き」を深めたマイ探究の成果を発表する。そんな姿が想像できます。
小学校の総合に「情報の領域」が加わる
小学校の総合は、「探究の領域」と「情報の領域」の二つの領域で構成する方向です。「情報の領域」は、情報活用能力を育て、「探究の領域」や各教科の学びを基盤として支えるもの、と位置付けられています。ローマ字入力のタイピングも、この「情報の領域」を中心に学ぶ方向です。
詳しくは第25回で書きますが、情報技術の学習自体が総合の目的だという誤解を受けないよう、探究的な学びの特質が十分に発揮されるようにする、という考え方が示されている点は、ここでも押さえておきたいところです。
私が今から試してみたいこと
1. テーマ探究の中に「マイ探究の芽」をつくる
今の総合でも、学年共通のテーマの中で、一人一人が自分の問いを立てる時間をとることはできます。たとえば地域の川をテーマにするなら、「川の生き物」「川の歴史」「川を守る人」など、子どもが自分の関心に沿って問いを選べるようにする。テーマ探究の中に、マイ探究の芽を育てるイメージです。
2. 成果のまとめ方に「創作系」の選択肢を加える
まとめの方法を、新聞やスライドだけでなく、動画、模型、ポスター、物語、プログラムなど、子どもが選べるようにする。同じ探究でも、「創る」ことでしか生まれない学びがあると思います。
3. 振り返りを「最後」だけにしない
振り返りを単元の最後にまとめてするのではなく、毎時間の終わりや、活動の節目ごとに短く行う。「今日、問いは変わった?」「次に何を調べたい?」。プロセスを回すためではなく、子どもが自分の探究の舵を握るための振り返りにしたいと思います。
うまくいかないこともあります
ここまで読んで、「30人分の探究をどう見ればいいの?」と心配になった方も多いと思います。マイ探究は、たしかに教師の負担が大きくなりがちです。30人の子どもが30通りの問いを持てば、それぞれに助言するのは簡単ではありません。
審議まとめも、とりわけマイ探究では、学級や学年を超えて、課題に応じて専門性や得意分野を持つ教師に相談できる体制が効果的な場合がある、と書いています。教師の得意や持ち味を生かすチームでの指導体制が、負担の軽減にもつながる、というのです。第10回で書いた調整授業時数制度の学習枠を使って、マイ探究を深める時間をつくることも考えられます。一人の担任が抱え込まない仕組みを、学年や学校で考えていけたらと思っています。
おわりに 「探究」という名前に込められたもの
「学習」から「探究」へ。名前が変わるだけ、と言えばそれまでです。でも、その名前には、「子どもが自分で問いを立て、自分の舵で学びを進めていく時間にしたい」という願いが込められているのだと思います。
テーマ探究で世界を広げ、マイ探究で自分の「好き」を深め、ときには作品をつくる創作者になる。総合の時間が、子どもにとって「自分の人生を舵取りする練習」の時間になっていく。そんな未来を思い描きながら、まずは目の前の総合の時間を、少しずつ変えていきたいと思います。
次回は、算数の「みはじ」「くもわ」をどうするか、意味理解と練習量について書きます。
参考にした資料
中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会「次期学習指導要領等に向けた審議まとめ」(令和8年10月5日)


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