「教員」は職業なのか

先生という仕事

自分が教員となった時に、辞令交付式で話された方が言っていたことが今でも自分の心の中に残っています。その方の話の大半はほぼ覚えていないのですが、ある一文だけが心に残りました。

「皆さんは教員をいう職業を選んだのではなく、教員としての生き方を選んだのです。」

という言葉です。

正直、はっとしました。なるほどと。教員という職業上の経験を重ねた今だからこそ分かりますが、職業として数多くの技能が必要だし、周りからは、教員という目で見られるし、勤務時間の外でも、地域の中ではどこかで「先生」として見られている。仕事の時間が終わったからといって、すっぱりと別の自分に切り替わるわけではない。あの言葉の意味が、年を重ねるごとに少しずつ体にしみこんできたように思います。

今回は、この「教員は職業なのか、それとも生き方なのか」という問いについて、今の私なりに考えていることを書いてみます。結論を先にお伝えすると、私は「教員は職業でもあり、生き方でもある。ただし、生き方であることを理由に、職業としての線引きを手放してはいけない」と考えています。少し長くなりますが、お付き合いください。

「生き方を選んだ」と言われてはっとした理由

あの言葉を聞いたとき、なぜ心に残ったのか。改めて考えてみると、それまでの私は教員を「なりたい職業」として見ていたからだと思います。教員採用試験に向けて勉強し、合格し、辞令をもらう。そこまでの道のりは、どこかで「就職」の延長線上にありました。

ところが「生き方を選んだ」と言われると、ゴールだと思っていた場所が、急にスタートラインに変わります。辞令はゴールではなく、これから続く長い道の入り口なのだと。そう考えると、少し身が引き締まる思いがしたのを覚えています。

同時に、どこかで「重いな」とも感じました。生き方となると、仕事が終わったから終わり、というわけにはいかない気がしたからです。その重さと、背筋が伸びるような感覚が、同時にやってきた。だからこそ、話の大半は忘れてしまっても、あの一文だけは残ったのだと思います。

きっと、同じような言葉を聞いた経験のある先生は少なくないのではないでしょうか。辞令交付式や初任者研修、あるいは尊敬する先輩の何気ないひと言。教員として歩み始めたころに出会った言葉は、不思議と長く心に残り、迷ったときにふと思い出されるものです。

みなさんの心にも、そんな「最初の一文」があるかもしれません。もしよければ、この記事を読みながら、その言葉を思い出してみてください。今のご自身なら、その言葉をどう受け取るでしょうか。

職業としての教員に必要なこと

まず、教員はまぎれもなく職業です。そこは大前提として押さえておきたいところです。

求められる技能はとても多い

授業をつくる力、子どもの様子を見取る力、学級を運営する力、保護者と信頼関係を築く力、同僚と協力して学校を動かす力。挙げ始めるときりがありません。どれも一朝一夕で身につくものではなく、経験と学びを重ねながら少しずつ育っていくものです。

たとえば授業ひとつとっても、教材を研究し、ねらいを定め、発問を考え、子どもの反応を予想し、終わったあとに振り返る。この流れをくり返すことで、ようやく「職業としての腕」が磨かれていきます。これは、どんな専門職とも変わらない、地道な積み重ねです。

専門職として学び続けること

教員には、法令や制度、学習指導要領の改訂など、知っておくべきことも次々に出てきます。研修を受けたり、本を読んだり、他の先生の授業を見せてもらったりと、学び続けることが求められる仕事です。

ここで大切なのは、これを「生き方だから当然」と片づけないことだと思います。学び続けることは、専門職としての責任です。そして責任であるからこそ、学ぶための時間や機会は、本来は職場として保障されるべきものでもあります。

生き方としての教員とは何か

では、「生き方」としての教員とは何なのでしょうか。私は、ものの見方が変わることだと考えています。

日常の見え方が変わる

教員を続けていると、日常のあらゆるものが授業や学級経営とつながって見えるようになります。たとえば、散歩中に見かけた花を「理科で使えるかな」と思ったり、ニュースを見ながら「社会の授業で話題にできるかもしれない」と考えたり。誰に言われたわけでもないのに、自然とそういう目でものを見ている自分に気づきます。

これは、職業上の技能というより、生き方に近い変化だと思います。教員という仕事が、自分のものの見方そのものを少しずつ形づくっていく。辞令交付式で聞いた言葉は、きっとこういうことも含んでいたのだろうと、今なら思えます。

子どもの前に立つ自分を意識する

もうひとつは、子どもの前に立つ大人としての自分を意識することです。子どもたちは、教員の言葉だけでなく、ふるまいや表情、ものごとへの向き合い方をよく見ています。

たとえば、教員が失敗したときにどう謝るか、困ったときにどう人に頼るか。そういう姿そのものが、子どもにとっての学びになることがあります。だからこそ、教員は「先生らしく完璧でいなければ」と思いがちですが、私はむしろ、迷いながらも誠実に向き合う姿を見せることのほうが大切だと感じています。

「学び続ける大人」の姿を見せる

子どもの前に立つ大人として、もうひとつ大切にしたいのが「学び続ける大人」の姿を見せることです。教員は、教える人であると同時に、学ぶ人でもあります。

たとえば、子どもから思いがけない質問をされて答えられなかったとき。「先生も分からないから、一緒に調べてみよう」と言える大人でありたいと思います。知らないことを知らないと認め、そこから一緒に学ぼうとする姿は、子どもたちにとって「学ぶことは楽しいことなんだ」というメッセージになるはずです。

教員という生き方の中心には、もしかすると、この「学び続けること」があるのかもしれません。教える立場にいながら、いつまでも学ぶ側でもある。そのしなやかさこそが、生き方としての教員の魅力なのだと思います。

「生き方」という言葉の危うさ

ここまで書いてきて、少し立ち止まって考えたいことがあります。「教員は生き方だ」という言葉には、大切な意味がある一方で、危うさもあるということです。

際限なく働くことの正当化にならないように

「生き方なのだから、休みの日も仕事のことを考えて当たり前」「子どものためなら、どこまでも時間を使うべき」。こうした考え方が、「生き方」という言葉の名のもとに広がってしまうと、教員は休むことができなくなります。

教員の長時間労働は、社会全体の課題として議論されるようになりました。働き方を見直そうという流れの中で、「生き方」という言葉が、際限のない働き方を正当化する理由になってしまっては本末転倒です。

職業としての線引きを持つ

だからこそ私は、「生き方」と「職業」の両方を、意識して持っておくことが大切だと考えています。ものの見方としての「生き方」は大切にする。けれど、時間や責任の範囲については、「職業」としてきちんと線を引く。

たとえば、勤務時間外の連絡にどこまで応じるか、持ち帰り仕事をどこまでにするか。これは、一人ひとりが自分の生活と健康を守るために考えてよいことです。線を引くことは、決して子どもを大切にしていないということではありません。むしろ、長く元気に教員を続けるために必要なことだと思います。

線を引くための小さな工夫

とはいえ、「線を引きましょう」と言うのは簡単でも、実際にはなかなか難しいものです。目の前に子どもがいて、やりたいことも、やらなければならないこともたくさんある。気づけば時計の針がずいぶん進んでいた、という日は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。

そこで、私が大切にしたいと思っている考え方をいくつか挙げてみます。どれも特別なことではありませんが、意識するだけで少し気持ちが楽になるものです。

  • 「今日やること」と「今日でなくてもいいこと」を、帰る前に分けておく。
  • 一人で抱え込まず、学年や同僚と分担できることは分担する。
  • 完璧な掲示物や資料より、子どもと向き合う時間を優先する。
  • 疲れているときは、休むことも仕事の一部だと考える。

とくに最後の「休むことも仕事の一部」という考え方は、教員にとって大切だと感じています。疲れ切った状態で教室に立っても、子どもの小さな変化に気づく余裕はなかなか生まれません。自分の心と体を整えることは、子どもの前に立つための準備でもあるのです。

「生き方」を支えるのは、同僚とのつながり

もうひとつ、「教員としての生き方」を考えるうえで欠かせないのが、同僚とのつながりです。教員の仕事は、一人で完結するものではありません。

一人で背負わないこと

学級担任をしていると、「自分のクラスのことは自分で何とかしなければ」と思いがちです。けれど、子どもたちは学校全体の中で育っていきます。専科の先生、養護の先生、管理職、事務の方、支援員の方。たくさんの大人が関わることで、子どもたちの学校生活は支えられています。

だからこそ、困ったときに「ちょっと相談させてください」と言えることは、教員にとってとても大切な力です。相談することは、弱さではありません。むしろ、子どもにとってよりよい選択をするための、専門職らしいふるまいだと私は思います。

語り合える場を持つ

また、教員としての生き方について語り合える仲間がいることも、大きな支えになります。職員室での何気ない雑談、研修会のあとの立ち話、あるいはこうしたブログやSNSを通じたつながり。形はさまざまですが、「自分だけじゃないんだ」と思える場があるだけで、明日もまた教室に向かう力が湧いてきます。

このブログも、そんな場のひとつになれたらいいなと思いながら書いています。同じように悩んだり、迷ったりしている先生に、少しでも届けば嬉しいです。

それでも、教員という仕事には魅力がある

ここまで、「生き方」という言葉の重さや危うさについても書いてきました。けれど最後に、やはりお伝えしたいのは、教員という仕事にはかけがえのない魅力があるということです。

子どもの「できた」に立ち会える

教員の仕事のいちばんの魅力は、子どもが何かを「できた」「分かった」と感じる瞬間に立ち会えることだと思います。昨日までできなかったことが、今日はできるようになっている。そんな小さな成長の瞬間に、一番近くでかかわることができる仕事は、そう多くはありません。

その瞬間は、派手なものばかりではありません。たとえば、いつもは発表をためらっていた子が、そっと手を挙げる。友だちの意見に「なるほど」とうなずく。そうした一つひとつの変化に気づけたとき、「この仕事を選んでよかった」と心から思えます。

自分自身も育てられる

もうひとつの魅力は、教員自身も子どもたちに育てられていくということです。子どもたちの素直な疑問や、大人が思いつかないような発想に触れるたびに、自分の考えの狭さに気づかされます。

教えているつもりが、実は教えられている。そんな経験を重ねることで、教員は少しずつ、人としても成長していくのだと思います。「生き方としての教員」という言葉には、きっとこの喜びも含まれているのでしょう。

若い先生に伝えたいこと

もし、これから教員になる方や、教員になって間もない方がこの記事を読んでくださっているなら、伝えたいことがあります。

ひとつは、「生き方」という言葉に押しつぶされなくていい、ということです。教員としての見方が自然と身についていくのは、とても素敵なことです。でも、それは時間をかけて少しずつ育つものであって、最初から完璧である必要はありません。

もうひとつは、自分の時間や家族、趣味を大切にしてほしい、ということです。教員以外の世界に触れることは、決して教員としての自分を弱くしません。むしろ、教室に新しい風を運んでくれます。いろいろな経験をしている大人の姿は、子どもたちにとっても豊かな学びになるはずです。

あの言葉を、今の自分ならどう受け取るか

教員になった日から、それなりの年月が経ちました。あの日の私は、言葉の重さに少したじろぎながらも、どこか誇らしい気持ちで聞いていたように思います。

今の私があの言葉を聞いたら、どう受け取るでしょうか。たぶん、「生き方を選んだ」という部分には深くうなずくと思います。教員を続ける中で、ものの見方や考え方が変わってきたことは確かだからです。子どもの言葉に耳を澄ませること、ものごとを別の立場から見てみること、目の前のことを授業や学びとつなげて考えること。どれも、教員になったからこそ身についた見方です。

一方で、「だからといって、すべてを教員の仕事に捧げなくていいんだよ」と、あの日の自分に付け加えてあげたい気もします。生き方を選んだからこそ、その生き方を長く続けられるように、自分を大切にしてほしい。それは、子どもたちに「自分を大切にしようね」と伝える私たち自身が、まず実践すべきことでもあるからです。

言葉は、受け取る側の経験によって意味が変わっていくものなのだと思います。同じ一文でも、新任のころと今とでは響き方が違う。そして、これから先もきっと、また違った意味で響いてくるのでしょう。そう考えると、あの日の一文は、私にとって何度も読み返したくなる「教材」のようなものなのかもしれません。

数年後の自分が、この記事を読み返したとき、どんなことを感じるのか。それも少し楽しみにしながら、今日も教室に向かいたいと思います。教員としての生き方は、こうして毎日少しずつ更新されていくものなのかもしれません。

職業でもあり、生き方でもある

「教員は職業なのか」という問いに、私は今、こう答えたいと思います。教員は職業であり、同時に生き方でもある。どちらか一方だけを選ぶ必要はなく、両方を行き来しながら、自分なりのバランスを探していくものなのだと。

自分なりの答えを持ち続ける

この問いに、たった一つの正解はないのだと思います。教員になったばかりのころ、子育てや介護と両立している時期、ベテランと呼ばれるようになったころ。立場や生活が変われば、「職業」と「生き方」のバランスも変わっていくのが自然です。

大切なのは、ときどき立ち止まって「今の自分にとって、教員とは何だろう」と考えてみることではないでしょうか。忙しさに流されるのではなく、自分で選び直す。その積み重ねが、その人らしい教員としての生き方をつくっていくのだと思います。

辞令交付式で聞いたあの言葉は、きっと「覚悟を持ちなさい」というエールだったのだと思います。その覚悟は大切に持ちつつ、同時に、自分を大切にすることも忘れない。それが、今の私が考える「教員としての生き方」です。

みなさんは、あの日の自分に、どんな言葉をかけたいですか。日々の忙しさの中で、ふとそんなことを考える時間があってもいいのかもしれません。

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