「次期学習指導要領を読む」第8回です。審議まとめを読んでいて、いちばん多く目に留まった言葉は、たぶん「余白」です。
最初にこの言葉を見たとき、正直、少しうれしくなりました。余白。なんだか、ほっとする響きです。放課後に少しだけ椅子に座ってコーヒーを飲める時間。そんなものを想像してしまいました。同じことを思い浮かべた方、きっといますよね。
でも、読み進めると、審議まとめはわざわざ注意書きをしています。
「余白」とは、単に時間的余裕を意味するのではなく、多様な子供たちの深い学びを実現するための時間的余裕、すなわち、学校や教師にとっては職務遂行上の「余白」を意味し、子供たちの資質・能力の育成に繋げるためのものであることに十分留意する必要がある。
なるほど、と思いました。余白は、休むための空白ではなく、子どもの学びを深めるために「使う」時間のことなんですね。
ちょっとだけ、がっかりした自分もいます。
でも、よく考えてみると、これは悪い話ではないと思い直しました。
私たちが本当に欲しいのは、何もしない時間というより、「ちゃんと準備できる時間」ではないでしょうか。単元全体を見通して教材研究をする時間。学年の先生と「この子、最近どう?」と話す時間。気になる子の様子を、じっくり見る時間。そういう時間がないまま、毎日の授業と事務に追われているから、しんどいのだと思います。
審議まとめは、教師と子どもの「双方」に余白をつくる、と書いています。教師には、力量を高め、授業改善を図るための時間的余裕。子どもには、深い学びに取り組むために必要な学習時間。その二つが相乗効果を発揮して、豊かな学びにつながる。そういう絵が描かれています。
もう一つ、心に残ったことがあります。審議まとめは、余白がない原因を、教師個人の努力不足にしていないことです。
余白がないのは、自分の段取りが悪いからだ。そんなふうに自分を責めてしまうこと、ありますよね。でも、審議まとめが挙げているのは、標準授業時数を下回ってはいけないという意識から、予備時数を多めにとってしまうこと。週29コマの習慣。厚い教科書を全部教えなければという思い込み。指導書のとおりにしなければという認識。入試を背景にした保護者の懸念。そうした「仕組み」や「空気」の側に、余白を奪っている原因があると整理しています。
だから、余白は「がんばって生み出すもの」ではなく、「仕組みを変えて生まれるもの」として考えられているのだと思います。この点は、次回の「週29コマ」の話と、第10回の「調整授業時数制度」の話で、もう少し具体的に書きます。

余白は、ひまな時間のことではない。でも、追い立てられない時間のことではある。
子どもの「先生、ちょっと聞いて」に、「あとでね」ではなく「どうしたの?」と言える時間。そういう余白が、少しずつでも学校に増えていくといいなと思います。
参考にした資料
中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会「次期学習指導要領等に向けた審議まとめ」(令和8年10月5日)


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